「アフリカンフェスタ! in ながおか」とは!?

ジャンボ!

 「どうして新潟県長岡市でアフリカンフェスタが開催されているの?」と疑問に思う方は多いことでしょう。

 

首都圏や大阪など、外国人が多く暮らす大都市ではアフリカをはじめ世界各国のフェスティバルが開催されています。それに比べて人口が少ない長岡市でアフリカンフェスタが開かれている事には、秘密があるのです。

 

その秘密を解くカギは、長岡市在住で伝説的ドキュメンタリー映画「阿賀に生きる」を撮影した映画監督・小林茂さんと、ケニアでストリートチルドレンを支援している国際NGO「モヨ・チルドレン・センター」を主宰する松下照美さん(左写真中央)のお2人にあります。


<アフリカンフェスタ!inながおかとは?>

「アフリカンフェスタ!in ながおか」は簡単に言うと、松下照美さんが年に一回ケニアから帰国して、長岡市で行う活動報告会です。

 

報告会は、小林茂さんが代表を務める「モヨ・チルドレン・センター長岡」が主催して、1999年から毎年続けてきました。この報告会で集める寄付や収益は、ケニアでストリートチルドレンのケアをする「モヨ・チルドレン・センター」の活動資金となります。

 

2012年に現在の会場である「アオーレ長岡」と、市民の活動を推進する「市民協働センター」ができたことをきっかけに、2013年から報告会に映画・ライブなどを加え、アフリカンフェスタとして開催しています。

 

でも、なぜ長岡なのか・・・

長岡と松下照美さんの縁は今から20年以上前、1994年にさかのぼります。


<松下照美さんとアフリカ>

徳島県出身の松下さんは1994年、あるカメラマンがアフリカのウガンダでエイズ孤児を取材する際に同行しました。

 

初めて訪れたアフリカ、ウガンダのストリートで出会った子供たちに強く衝撃を受け、50歳を目前にした松下さんは彼らと支えあって暮らしていきたいと決意しました。

 

その後ウガンダ・マサカのNGOが運営するストリートチルドレンのための家にてボランティアをし、自らNGOを設立するため1996年にケニアへ移住します。

 


 数年の準備期間を経て1999年、ついに「モヨ・ホーム」がケニア政府より、国際 NGO として正式に認可・登録されました。汚職がはびこるケニア政府に対して、ワイロを一切使わずに認可されるには実に2年以上かかったそうです。

 

「モヨ・ホーム」としての活動場所を探した結果、ケニアの首都ナイロビから45Kmほど離れたティカという町に落ち着き、2001年に名前を「モヨ・チルドレン・センター」に改名しました。

 


<長岡との縁>

実は、松下さんが1994年にウガンダへ同行したカメラマンこそが、長岡在住の小林茂さんでした。(小林さんの取材は「ウガンダに生まれて」という写真展となり1996年に全国で開催され、アフリカンフェスタの1回目でも展示させていただきました。)

 

小林さんは1999年に松下さんがケニアで子供たちを支援するNGOを設立したことに呼応して、地元長岡でそれをサポートする「モヨ・チルドレン・センター長岡」を立ち上げました。それ以来、運営資金を募ることも含めて活動報告会を開催し、ケニアより松下さんを毎年招待してきました。

 


<チョコラ!誕生>

松下さんは帰国した際には長岡だけでなく日本全国を巡ります。

 

2005年、新潟県を訪れた際に「アフリカの今の子供たちの姿を映画にしてほしい」と小林さんに依頼をしたそうです。

 

「共に初めてウガンダの地を踏んでから10年以上が経過し、お互い様々な経験をしてきて改めて、子どもたちの姿とケニアが小林さんの目にどう映るのか。新しい視点・発見があるのではないか?」という想いを込めた依頼でした。

 

当時小林さんは腎不全が進行していましたが、アフリカへ出かけられるのも最後かもしれないという決意をもって撮影を承諾し、2006年の6月から11月までティカに滞在して松下さんと、ストリートで暮らす子供たちの姿を記録しました。それが映画「チョコラ!」となり2009年に全国公開され、大きな反響を呼びました。

 

「チョコラ!」のエンディングテーマや劇中音楽はミュージシャンで親指ピアノ奏者のサカキマンゴーさんが担当しています。

 


<アフリカンフェスタ!inながおかへ>

「アフリカンフェスタ!inながおか」は2013年からですが、松下照美さんと小林茂さんの20年近い歴史が結集したお祭りなのです。

 

ウガンダでの運命的な出会いから、松下さんは未知なるアフリカで子供たちと暮らしていく道を選択し、小林監督はそれを支援し続けています。2人とも命にかかわる大きな疾患を経験したり、そのあゆみの大変さは想像をはるかに超えるものだったと思います。文章にするとえらくあっさりしたものになりますが、お2人が歩んできた約30年の重みを感じながら、最大の敬意をもってアフリカンフェスタを開催させていただきたく思います。


 

2022年2月、病気療養のため一時帰国中だった松下照美さんが徳島にて息を引き取りました。

 

松下さんが日々子供たちと奮闘した様子は彼女が綴ったブログ読むことができます。

 

約30年にわたってケニアで子どもたちを支えてきた松下さんの訃報はメディアでも大きく取り上げられ、「モヨ・チルドレン・センター」の運営についても継続が危惧されました。

 

しかし、ケニアで現地ボランティアとして松下さんを支えていた佐藤南帆さんが新代表となり子どもたちの支援を継続することになりました。


今、この瞬間もこどもたちは「モヨ・チルドレン・センター」で暮らしており、佐藤さんはケニアで彼らを支えています。アフリカンフェスタ!では、生きた報告を聴くことができます。

 

会場にお越しいただき、映画を見たり、音楽で踊ったり、ビールを飲んだりすることも、すべて佐藤さんと、モヨ・チルドレン・センターと、アフリカの子供たちの支援につながっているのです!!

 

アオーレ長岡でお待ちしています。



松下照美(まつした・てるみ)  プロフィール

国際NGO「モヨ・チルドレン・センター」創設

 <経歴>

1945年11月20日・徳島県に生まれる

1963年 徳島県立城東高等学校卒業

1967年 玉川大学文学部芸術学科卒業

1967年~1969年 幼稚園(横浜勤務)教師

1970年代 反核・平和活動に参加

1980年 徳島に移住 作陶生活に入る

1992年 パートナー急逝

1994年~95年 小林 茂氏(当時カメラマン)の写真取材のためのウガンダ行きに同行。それをきっかけにウガンダの子どもたちのための施設でボランティア

1996年 ケニアへ移住、英語を学びながらNGO設立準備開始

1999年 ケニア政府より正式に国際NGOとしての認可を受ける

2000年 脳梗塞にて日本帰国、手術後ケニアへ。ナイロビより北東45キロのティカへ移住、本格的に活動を開始

2005年 ティカにて借家で「子どもたちの家」開設

2006年 ティカの路上で暮らす子どもたちの日常を追った長編ドキュメンタリー映画「チョコラ!」(小林 茂監督)撮影に参加・協力 

2009年 映画「チョコラ!」と共に4か月間日本を巡る。その際多くの方々からご寄付を受け念願の「子どもたちの家」建設を決意

2010年 新「子どもたちの家(通称:ニュー・ホーム)」建設着工・11月オープン

2011年 「ニュー・ホーム」が12人の強盗団に襲われる・警備体制強化

2014年  テレビ東京「世界ナゼ?そこに日本人」にて紹介され、支援者拡大に繋がる

2022年 徳島にて逝去 享年77歳


小林茂(こばやし・しげる)  プロフィール

ドキュメンタリー映画監督

1954年生まれ。

「阿賀に生きる」の撮影により第1回JSC賞受賞。監督「わたしの季節」によりを毎日映画コンクール記録映画賞、文化庁映画大賞など受賞。ほかに「こどものそら」「ちょっと青空」「チョコラ!」など。

2013年度、長岡「米百俵賞」受賞。

透析歴8年。

2016年、豪雪地帯を舞台にした新作「風の波紋」が全国公開。

 

<アフリカンフェスタ!関係略歴>

1994年アフリカ・ウガンダのストリートで生きる子どもたちの写真取材。そのとき同行した松下照美さんと1996年から写真展「ウガンダに生まれて」を全国で開催。その後、松下さんはケニアで子どもたちを支援するNGO「モヨ・チルドレン・センター」を設立。

2006年、小林茂監督、吉田泰三カメラマンが「モヨ・チルドレン・センター」に関わるストリートチルドレンの子どもたちのドキュメンタリー映画撮影。

2008年、完成した映画「チョコラ!」を全国公開するとともに、「子どもたちの家」建設キャンペーンを展開。その基金をもとに、2010年、その家が完成。それにあわせて、小林茂監督らがケニアを再訪し、子どもたちに映画を見せる。

毎年、松下照美さんの帰国にあわせ、映画会や講演会を開催してきたが、2013年よりアオーレ長岡を舞台に、長岡市民協働センターと協力して、「アフリカンフェスタ!in ながおか」という名前で、映画やライブ、出店などでアフリカを体感するイベントを開催している。

 

<2006年6月 ナイロビ近郊にて 写真左から、松下照美、小林茂、吉田泰三>